最近、Apple Music を流しっぱなしにしている時に偶然出会った一枚のアルバムに心を鷲掴みにされてしまった。それ以来、ほぼ毎日聴いている。私は元来ハードロック・ヘヴィーメタル畑の住人であるので、音楽記事第一号は当然、IRON MAIDEN や JUDAS PRIEST になるものだとばかり思っていた。
ところが書こう書こうと思っているうちに月日は流れ、第一号はまさかの最近出会った Nightnoise になってしまった。
メタル畑の住人とはいえ、プログレやジャズ・フュージョンも嗜む。技術レベルがある一定の水準にあればたいてい聴くというのがメタル畑の住人の特徴と言えるかもしれない。少なくとも私が出会った若い頃から人知れずメタル畑を耕してきた人々はそうであったと付け加えておく。
話が脱線しすぎた。
兎にも角にも、この記事は物心ついた頃からメタル沼にハマりまくってメタル畑の開墾に明け暮れていたとあるおっさんが、40歳を目前にしてアイリッシュにハマった話である。
尚、オーディオ評論家のように録音や機材について語れるほどの知識も経験もない。だからこの記事は、レビューというより読書感想文ならぬ「音楽感想文」に近い。そこは御愛嬌ということで。
はじめに──ある一曲が流れてきた
出会いは、友人に紹介された Michael Hedges を聴いてる時だったと思う。
AppleMusic ってそのまま聴いてるとどんどん関連した音楽や似た傾向の音楽を流してくれるんだけど、その時にたまたま Nightnoise の Windell が流れてきて強烈に惹かれた。
寂しげな音楽なんだけど、その中に確かな美しさと懐かしさがある。もともと自分がピアノをやってたのもあってなのかとても綺麗な旋律に震えたのはよく覚えてる。
思わず、アルバムごとライブラリに追加した。その時は、まさかここまで繰り返し聴くことになるとは思ってもいなかった。
初めて聴くはずなのに懐かしい
ロックのように激しいわけでもない。一般的なポップスのように心に残る歌詞があるわけでもない。むしろ彼らの音楽は、静かにそこに在るだけである。
夜更け、ほとんど暗闇の中でこのアルバムを流していると、不思議と時間だけがゆっくり流れ始めたような錯覚を覚える。一曲終わるたびに静寂が戻ってくる。その静寂すら、このアルバムの一部なのではないかと思えるほどだ。
気が付けば一曲だけで終わることはなく、そのままアルバムを最後まで流している。聴き終えた頃には、心地よい静けさと、どこか満たされたような高揚感だけが残る。
それで満足したはずなのに、翌日にはまた Apple Music を開き、気付けば再び再生ボタンを押している。
この感覚をうまく言葉にするのは難しい。初めて聴いたはずなのに、どこか懐かしい。知らない景色を見ているはずなのに、昔どこかで見た風景のようにも思える。
なぜ私はこんなにも Nightnoise に惹かれるのだろう。その理由を考えてみると、思いがけず学生時代によく聴いていたあるギタリストへと辿り着いた。
ゲイリー・ムーアが作っていた土壌
『Wild Frontier』
このアルバムが発売された年、私は産声を上げた。
……だから何だという話である。
私がこの世に生を享けてから今日に至るまでの話を書き始めると、このブログ記事が私の自伝と化してしまう。しかも、生きている限り加筆修正を繰り返すことになるだろう。Nightnoise に辿り着く頃には、読者諸兄も私も寿命を迎えているかもしれない。よって、この話は脇へ置いておく。
気を取り直して。
『Wild Frontier』は、中学生の頃に私が何度も何度も繰り返し聴いたアルバムである。
──いや、厳密にはもっと早い。
小学校低学年の頃にはすでに Empty Rooms や Out in the Fields をブタの絵がたくさん描かれたカセットテープに入れて擦り切れるほど聴いていた。
つまり私は、物心ついた頃からゲイリー・ムーアという音楽家の旋律に触れて育ったのである。
当時は当然、“アイリッシュ音楽”などという言葉すら知らなかった。
ただ「この旋律が好きだ」。
それだけだった。
そして、あの時のカセットテープはカオスだった。ゲイリーだけでなく、レインボー、MSG、オジー、ブラインド・ガーディアン、ディジー・ミズ・リジー、メガデス、ドリーム・シアターなどの洋楽勢。メイデンとプリーストが入っていたかは覚えていない。そして国内からは、奥田民生、ザ・ハイロウズ、世界名作劇場の主題歌など。カオスすぎる。
しかし、今になって振り返ると、あの頃に耳へ染み込んでいった旋律が、知らず知らずのうちに私の中へ土壌を作っていたのかもしれない。ややカオスすぎる土壌ではあるが。
農業において、同一の蔬菜を栽培していると連作障害というものが起きる。線虫の発生などが一つの例だ。ゆえに、輪作(別の科の蔬菜を栽培)したり、一定期間圃場を休ませるなどの対策が必要である。つまり、私はずっと輪作をしていたわけだ。何の話をしているんだったっけ?
だから Nightnoise を初めて聴いた時、初めてのはずなのに懐かしい気持ちになった。
あくまで偶然の出会いだった。だが、その偶然を受け止める準備だけは、二十年以上も前から出来上がっていたのかもしれない。
『At the End of the Evening』はこんな人に薦めたい
では、ここまで散々 Nightnoise について書いておいて、結局どんな人にこのアルバムを薦めたいのか。
これはなかなか難しい問題である。
「アイリッシュ音楽が好きな人」と言ってしまえばそれまでなのだが、それではあまりにも身も蓋もない。そもそも私はアイリッシュ音楽について詳しいわけでもないし、音楽評論家でもない。ただ、偶然このアルバムに出会い、気が付けば毎日のように聴いている。それだけの人間である。
それでも敢えて挙げるなら、夜に静かな音楽を聴きながら、ぼんやりと物思いに耽る時間が好きな人には、ぜひ一度聴いてみてほしい。
- 静かな音楽が好きな人
- 旋律や音の重なり、空気感を楽しみたい人
- 少し寂しげな音楽に惹かれる人
- ケルト・アイリッシュ系の音楽に興味がある人
- 夜に聴ける音楽を探している人
- 普段はロックやメタルばかり聴いているけれど、たまには静かな音楽も聴いてみたい人
- 部屋の照明のトーンを下げて音楽を流しながらお酒を少々嗜んでソレっぽく振る舞い、ひとしきり雰囲気に酔った後、急に気恥ずかしくなってみたい学生諸君
私自身はハードロックやヘヴィーメタルを長年聴いてきた人間なので、「静かな音楽が好きな人」にしか薦められないのかというと、そうでもないと思っている。
仕事や学校から帰ってきて、ようやく一人になった夜。
本を読むでもなく、映画を見るでもなく、ただ静かに過ごしたい夜。
そんな時に、部屋の明かりを少し落として『At the End of the Evening』を流してみてほしい。
何かをしている自分を音楽が急かすこともない。ただそこに在る。そして気が付けば、一日の終わりに少しだけ余白ができている。
私にとって、このアルバムはそういう音楽である。
おわりに──音楽は人生のどこかで繋がる
Nightnoise の話をもっと書く予定がいつの間にか自分の音楽ルーツを探せ!な話にすり替わっていた。今回は普段の紹介系・レシピ系記事とは一線を画して、エッセイっぽく書き上げてみようという試みから書き始めた記事であるもののちょいちょいリップサービスならぬ、ふざけずにはいられない衝動によってところどころ脱線してしまった。私の悪癖が出まくっているが、まあそこも含めて楽しく読んでいただけたらこれ幸いである。
今後も音楽記事を書くかと言われれば、ネタは腐るほどあるものの、なんせ書き手が遅筆ゆえ、なんとも言えないというところが本音である。まあ、アクセス数がそれなりにあれば、もう少しまともな音楽記事を量産するかもね(急に現実的)。
ちなみに、この記事を書き始めたのは7月頃だったはずなんだけど、今はもう9月だ。途中ブタさんテープの件(くだり)があると思うんだけど、あれに何が入っていたかを思い出していたらいろいろ聞きたくなっちゃって、ここ最近はメガデスの『Youthanasia』を”懐かしいでしかし”とか思いながらずっと聴いてた。Nightnoise と音楽性真逆すぎる。
尚、現在はドリーム・シアターの Take the Time を聞きながらあとがき部分を書いている。分割しながら書いてるから、その日の気分が反映されて文体がちょっと変わってるかもしれない。カタカナと英語が混ざってるとことかね。厳密にやるなら英語統一かなとも思うんだけど、まあこれ以上加筆修正繰り返すと、アップロードできずに終わりそうだから、とりあえずこの状態で出してみた次第。


